5/8

5/4 25GW常盤旅一日目


小生の常盤旅は港から始まる。 いつもは合流までバス旅だけど、今回は船旅。 交通手段は色々あれど、一番旅情をかき立てるのはダントツで船ではないだろうか。 なんかこう、陸地という境界から離れて別の世界に行く感覚がたまらんよね。


みんなの憧れスーパージェット。 松山から広島まで70分で連れてってくれる奇跡の船。 やっぱり瀬戸内海の水軍衆は優秀なのだ。 さあでは、熟田津に船乗りせむと出航時刻待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな。 待ってろみんな、今行くぞ。

広島港でご飯を食べて船の乗り換え。 いーよね!  電車やバスじゃなくて船の乗り換え。 浪漫だよね、よくわからんけど。


そうしてついに宮島上陸。 敵の意表を突き、ワレ奇襲ニ成功セリ。 まぁ表玄関の宮島桟橋に普通に到着したんですけどね。 多くの人とともに。 ……人多すぎ。 さあ、本州組はいつ着くかなー人多いなー暑いなー………暇だなー……あ、LINEだ。

「すまぬ、あと30分堪えてくれ!必ず援軍に参る!」

Oh……


というわけでそこら辺プラプラしたり写真を撮ったりして時間を潰します。 ていうかあんまりプラプラしたくないんですよね。 人が多すぎて。 特に外国人が多いよね。 一生分の外国人を見た気がする。 というか外国人がわざわざGWに合わせるの意味不明。 そこは避けたらいいじゃん。

なんかさ、中国とかは、この時期やっぱり長期休暇だそうで。 あとGWは海外に旅行する日本人のために飛行機をばんばん飛ばすので、その飛行機を日本に戻すための便も結果増えて料金が安くなるから、外国人がその時期にたくさん日本にやって来るとかなんとか。 って書いてた。


そんなこんなで常盤衆は無事集結を果たしました。 さあではいよいよ、厳島の戦いが始まります。



5/11

5/4 25GW常盤旅一日目 つづき


宮島桟橋のヘンテコな建物の雑踏の中で合流を果たした我々常盤はスポーンと弾き出されて、人のいない方へと導かれるように勢いよく歩きはじめるのであった。 常盤と人込みは水と油の関係で、混ぜようとしてもヌルンと分離して浮き上がる。


まずは要害山の宮尾城跡へ向かう。 要害山だなんて直截簡明な名称に恥じない直登。 中年から初老に差し掛かる我々常盤の行軍を阻みたいなら激しい険路はいらない。 ただ急登の石段を設置すればいい。 体力的にキツイんじゃなくて、バランス崩して落ちそうで怖い。


宮尾城に籠城して陶軍の猛攻を凌ぎに凌いで、ようやく毛利本隊の救援を迎え入れる小生、の図。 このとき小生の腕の形はTHE Beatles「Help!」のアルバムジャケットのポール・マッカートニーを意識していたのであるが、誰にも指摘されなかった。


下りるときの方が怖い。 常盤の中でも若衆はスタスタと下っていく。 年寄はおっかなびっくりゆっくり下っていくのである。 この手の石段の死亡事故って聞いたことないけど、絶対あるんじゃない? 報道しないだけで。


人の多い通りを避けて、小路を通り、建屋の間を抜けていく。 坂の町の裏路地はたまんなく良い。 こんな所を通ると常盤で行った香川の金毘羅さんを思い出す。 あのときも帰りは参道を避けてよくわからない山道を下ってったところ、最終的に民家と民家の間の細い路地と言うか敷地内の通路的なのを通っていた。


鹿に行く手を阻まれる常盤。 なんだけど、「うわー鹿だー」とか「かわいいー」とか、はしゃいだテンションにならない常盤。 あらゆるものに感動する「若さ」を失ったからではなく、鹿は奈良で散々見飽きたから。 と信じたい。


というわけでいよいよ山へと入っていきます。 まぁ今回の宮島は結構歩くと聞いていた小生に抜かりはない。 この旅のために靴を新調してニューバランスのウォーキングシューズを装着していたのだった。 小生が衣類を新調するタイミング→常盤旅がある毎。 わりかしマジな話。


え、これ、ニューバランスとかそういうんじゃなくない?  これははたして道なのか。 始めは普通の“荒れた”山道であったのに、いつの間にか藪漕ぎに近い状態に追い込まれる常盤衆に動揺が走る。 道と言えば道、のような気がしないでもない、けど。


分岐に迷いそうになりながらも遂に博奕尾に到着。 1555年厳島の戦いにおいて、宮島の包ヶ浦に上陸した毛利元就はこの博奕尾を越えて陶軍本陣を奇襲するのであった。 日本三大奇襲のひとつが、まさにこの場所を通って行われたのである。


帰り道。 だから本当にこれは道なのか。 日本三大奇襲のひとつと言うキラーコンテンツにもなってもおかしくない舞台であるのに、手入れはされていない。 放置中の放置。 宮島にとって偉人は平清盛であって毛利元就ではないらしい。 まぁこの神域を戦場に設定しちゃった人には、あんま良い印象は抱かないのかもしれない。


下山中、道を外れて姿を消したうえっちが、小枝を4本持って追いついてきた。 そうしてまず1本をあおっちに渡す。 「折ってみろ」と言う。 これってまさか、ひょっとして。 というかその1本、太いな。 ワンチャン折れないまである。


おら!  気合いと根性で太い1本を折るあおっちに次なる試練が襲い掛かる。 うえっちが3本の細い枝を渡し、「折ってみろ」と言うのであった。 枝のチョイスおかしくない?


3本束ねた細い枝をあっさり折っちゃうあおっち。 思惑が外れた態のうえっち元就と正解が分からない我々。 こうなってくると最初の太い1本を折って良かったのかどうか。 しかしながら史学研究においてもこうした実地や実験を重要視する常盤の姿勢は学会に新たな発見をもたらすのである。 つまり毛利元就の「三矢の訓」のエピソード、実際は全部折ってた説。


博奕尾から下りてきて大元浦。 陶晴賢は大軍勢を率いてここ大元浦に上陸した。 そのあとは塔の岡に本陣を置くが、やがて奇襲されて混乱に陥り島から脱出しようとここ大元浦まで退却してくるのである。 しかしながら舟はなかった。 逃走ルートを失い呆然と海を眺めることしかできなかった彼らの心中やいかに。


つづく


5/14

5/4 25GW常盤旅一日目 つづきのつづき


大元浦に設置されている解説看板は劣化してもなお放置され続け、もはや文字を読み取ることが困難な状態となっている。 博奕尾も道の整備が放置プレイだったことを顧みると、毛利(と陶)は厳島にとって黒歴史なのかもしれない。


大元浦から宮橋桟橋へと戻るには、どうしても厳島神社の辺りを通らなくちゃならない。 まともに歩けない混雑中の混雑に閉口して浜辺で一休み。 知らないガキと大鳥居。


厳島神社には入っていないけど、これはもう「行った」と言っても過言ではないのではないか。
「このあいだ宮島に行ったんですよー」
「へー、神社どうやった?」
「立派でしたよ。実際に行ってみると違いますね」
いける!


大地をどよもす群集に押し出される形でわき道に逃れた我々は、坂の町特有の入り組んだラビリンスを勘を頼りに歩いたためにその行程をトレースすることはできないが、気がついたら塔の岡に居た。 ここは陶晴賢が本陣を置いた場所で、博奕尾を越えた毛利軍に奇襲されて陶はここからさっきの大元浦に逃げて、舟が無いからさらに逃げて、悲しい結末を迎える。


陶が渇望した舟に乗り、こうして我々は宮島を離れる。 運賃200円、乗船時間10分。 今となってはたったこれだけのものであるが、海を渡れなかった陶は全てを失い、そして毛利は中国地方の覇者となっていくのである。 それはそうと舟に乗る人はなぜ手を振るのか。 どの航路でも、船上の人はみな手を振る。 陸地にあっても、それを見れば手を振り返す。 なぜなのか。 やっぱり舟は非日常のテンション↑↑で乗るものだからなの?

というわけでつづく


5/18

5/4 25GW常盤旅一日目 つづきのつづきのつづき


宮島から10分くらいで対岸の宮島口に到着する。 短い時間であっても、船旅は優れたアクセントカラーとして旅全体を引き立たせてくれる。 ただそのあと広電で、ぎゅうぎゅうの乗車率にさっきまでのちょっとしたヴォヤージュ感は雲散した。


此度はここにて陣を張る。 間取りは簡素だけれど綺麗でリーズナブルな良いお宿。 歩いて行ける距離にワイワイ飲める居酒屋とか、コンビニもないので、事前の買い出しは必須。 ホテル一階にレストランはあるのでそこで夕食兼軽飲はできる。


うえっちチェックインするの画。 カウンターでチェックインなんて時代遅れ。 今はこのようにして端末操作で全てが終わり。 ここでお金も払うし、画面を指でなぞりサインまでしちゃう近未来方式。 素敵。 カウンターなんて要らんくない?  余談だけど、一人でホテル行ったとき、大抵カウンターには二人居て、小生どっちに行くか大いに迷うんであるよ。 どっちもウェルカム状態だし、でどっちに行こうかフラフラして決めたはいいけど、行かなかった方をふと見ると外国人で、違う違うそうじゃない、それで避けたんじゃない、と罪悪感にさいなまれるのである。 ほんともう全てのホテルこれにしてください。


部屋でくつろいでいるとうえっちが「忘れ物した」と車まで荷物を取りに行こうとする。 そんで「かどっちも一緒に行くぞ」と言う。 これはもう完全に陰謀の気配でござる。 きっとみんなを驚かせる内緒の仕掛けがあって、小生はその助手に選ばれたのであろう。

どういったサプライズを用意しているのか想像を巡らせながら付いて行くと、車の後ろから荷物を取り出して、なんかキャッチボールが始まった。 なお写真は撮っていませんのでAIによるイメージ画でお伝えしておりますが、どゆこと?な状態でキャッチボールしてた。
「ところでサプライズは?」
「なにそれ?」
「本当に忘れ物しただけ?」
「そうだが?」
そしてキャッチボールをしたくなったので小生を誘ったのであった。 そういや学生時代したなー、懐。 そして久々のキャッチボールは普通に楽しかった。 ええもんやな。


ホテルのレストランで飲んで食ってして、それから厳島合戦を制した毛利家において勲功第一を決める争いが起きるのであった。 常盤武士の心得、勲功は麻雀で決せよ。

なお写真は撮っていましたが、法的にも道徳的にも社会通念上でも問題はないにしても夫婦間にやや亀裂をもたらす何かが写り込んでいたため(女関係でもないよ!)、AIによるイメージ画でお伝えします。 よくやったぞAI。

というわけで、いざ参る。

あお景 たか清 ます包 かど春 うえ元
1 ±0 -30 -14 44
2 -20 -25 ±0 45
3 7 -26 34 -15
4 -31 ±0 44 -13
5 27 -20 -10 3
-44 -54 -34 112 20

壮絶な兄弟喧嘩の結果、厳島の戦い勲功第一は吉川かど春に決まりました。

自分で言うのもなんだが、強すぎない?  せっかく皆で麻雀してるんだから勝とうが負けようが動かなきゃ勿体ないの精神で、親リーに対してリーのみで突っかかるなどの傍若無人な麻雀が何故か全て良い方に転がって、気がつけば大勝であった。

麻雀にもホームアドバンテージが存在するらしい。 ここ瀬戸内は小生の主戦場である。 瀬戸内海の風が小生に運気を運んでくれるぜ、的な感じで無茶が通じるのかもしれない。 ただ瀬戸内から一歩でも離れたら弱くなる。 以前ZOO合戦で大敗したが、戦場となった三宮は摂津なので瀬戸内ではないのである。 瀬戸内は播磨までであるらしい。 誤差の範囲だとは思うが、そこは認めてもらえないようだ。


というわけで御就寝。 部屋は広いように思えたものの、いざ布団を敷いていくとギチギチであった。 端から縦に2床並べて、その隣に横向きにして3床並べるといった工夫の跡が窺えるフォーメーションであったが、期せずしてますっちの両隣にあおっちとかどっち、そして足元にぎっちという配置となった。 その結果、ますっちは神々のいびきトライフォースに囲まれることになり就寝に苦労したのではないか。 という提起が翌朝うえっちからなされたが、ますっちは曖昧に笑うのみであった。


というわけで二日目がはじまります。



5/21

5/4 25GW常盤旅二日目


まだ薄暗い朝6時。 みんなが寝ている間に厠を済ます小生恒例の早朝うんこのお時間を終えてトイレを出ると、みんな目を覚ましてたの結構怖い。 素知らぬ顔して布団に戻ったけれど、そんな轟いた?

朝は昨日コンビニで各々が買っておいたおにぎりとかパンをダラダラ食うてダラダラ準備をする。 折目正しいますっちだけは朝からダラけることなく部屋を出ていき、お散歩したのだろうか、なんやかんやしたのちオートロックに阻まれて戻れなかった姿で発見されることになる。


そんなわけで朝一で折敷畑古戦場跡。 折敷畑の戦いとは、毛利軍3000が陶晴賢の派遣した宮川房長率いる陶軍・一揆衆7,000を打ち破った合戦で、この翌年陶晴賢本人が出張ることになる。 それがつまり厳島の戦いで、この折敷畑の戦いはその前哨戦とも言われる。


だが入れず。 標識の矢印の先は柵で阻まれており「猛犬に注意」と来るなオーラがすごいことになっている。 帰宅してから調べたら、いまは南西部のここからじゃなくて、南東部からの入山が推奨されているとか。 地主的なのとイザコザがあったのかどうか知らないけれど、どっちから入るにしても結構な山登りのようで、むしろYAMAPの出番である。


次いで桜尾城跡。 いまは桂公園となっていて、遺構はなにも残っていない。 かつての城主を祖先に持つ桂太郎が、城址を保存するために土地を買収して町に寄贈したのに、昭和に入って地形から変えられるという悪夢。 厳島合戦では毛利元就の本陣となったり、他の戦いでも名前が出てきたり、戦国時代の要衝として重要な役割を果たしたのに、ねえ。


桂公園で唐突に始まるキャッチボール。 そしていま明かされる驚愕の事実、ぎっちは元野球部。 な、なんだってー。 こうして常盤野球部は本格派左腕という超貴重な戦力を迎え入れるのである。

しなしながらここで、愉しい旅に水をさす事件が起きる。

――かどっち転ぶ――

常盤旅のごとに怪我をしているような気がするかどっちさん(47歳)は、自身から右下方向に少し逸れたボールに無我夢中で飛びついた結果、一年ぶり複数回目の戦傷を負いました。 右の、脛から膝、肘、小指球の外側、小指と中指の甲側をオトナにはあるまじき子供のような擦りむき方をして、わりかし出血が見られました。

こんな感じでコケた。

若い頃なら下半身もついてきてコケることはなかったのに、いまは一歩目二歩目が出てこないのでその結果上半身だけが無様に流れて、コケるのである。 自分の年齢を考えよう!  無理はしない!

小生は常盤旅で傷を負い過ぎである。 いつか小生の傷跡を肴に酒を飲んでほしいくらいだ。 傷を指しながら、これはあの時の傷、とか言って涙を流しながら酒を飲むのだ。 孫権と周泰みたいな感じで。


次からコケるときは受け身を取りたい。

一行はイオンモール広島祇園に移動。 入口正面のミニ広場ではローカルアイドル的なのが歌っていたが、小生はそれどころではない。 皆をせっついて、さっさと店内に入る。 そんで空気も読まず早足でココカラファインに行き、ガーゼとか絆創膏とかマキロンとかを適当に買い漁り、トイレに駆け込んで手洗器で傷をもう一度念入り洗ってから、個室に入って処置するのであった。

その間みんなは待ちぼうけである。 ほんと申し訳ない。


イオン近くの鉄板焼ちんちくりん祇園店でお昼ご飯はもちろんお好み焼き。 関西人がメインの常盤衆、決して「広島焼き」と口にしてはならないと決死の覚悟で入店したことはさておき、とても美味しかった。 大阪風も良いけど広島風もやっぱおいしいよね。 文化圏的に蕎麦の入ったお好み焼きを食う機会も多い小生としては、お好み焼きは蕎麦の入っている時と入っていない時がある(作った人の好みかな?)、くらいで気にしていなかったんよね。 大人になってから違うことを知った。

ちなみに松山には三津浜焼きってのもあるらしいよ。

というわけで、つづく。



5/25

5/4 25GW常盤旅二日目のつづき


お好み焼きを堪能した我々はそこからホテホテと歩き、すでに疲れている。 駐車場が期待できないことから車は平野部に置いてきているのだが、結論から言うと、登山口に駐車場はあった。 まぁでも歩くのって楽しいよね。


武田山のイメージキャラクターたけちゃま。 ここ武田山の佐東銀山城に本拠を置いた安芸武田氏のお殿様をイメージしたキャラクターで、のちのち調べたら着ぐるみまであるゆるキャラであった。 よくある地元民にも膾炙されない地味なキャラクターだと思っていたのに。 なお安芸武田氏滅亡時に黄金の茶釜を隠したエピから、頭は茶釜の形らしい。 それは気付かなかったなー。


というわけで佐東銀山城攻略のため、武田山に取り掛かる。 山に入ってすぐにこんな感じで、けっこう真面目な登山になってる感じがする。 今回の旅そんなつもりはなかったんだが、昨日今日と普通に山の中にいる。


登山道はそれなりに険路で場所によってはこうしてロープも張られている。 なのに地元民に愛されたハイキングコースのようで、子供連れの登山客何組ともすれ違った。 嘘やろ……危ないて。


オッサン疲れる。 ところで当サイトでは常盤や特に小生自身をオッサンと自嘲気味に揶揄しがちであるが、正直オッサン集団にしては運動能力をわりかしkeepしてる方だと思うんだが、どうなんだろう。 まあ小生はすぐに転げるけど。


小学校低学年くらいの数人とそれを引率するオトナもいたけど、これ突破したん?  とはいえ写真撮るくらいの余裕はあるからまだマシな道なんだけどね。 ホントに厳しい箇所は、カメラ構える余裕もなし。 いやでも、アドベンチャー感あってめっちゃ楽しかったよ。


本丸に到着して、それからさらにちょっと行けば武田山城の頂上があると言うので、せっかくなら top of the top を目指したい(遊びの)意識高めな常盤は迷わず駆け上がっていくのである。 さあ頂上が見えてまいりました。


あおっち、安芸を手中に収める。 たけちゃまの籠る佐東銀山城を攻略した我々常盤はここを橋頭保として安芸に覇を唱えるのであった。 くらいの妄想が垂れ流される画。

しかしこのとき、草むらをゴソゴソする音が空想の世界から常盤を呼び戻すのであった。


みんながそっちを見るくらい、気になる音。 小生が根拠もなしに無責任に「鳥やろ」と言い放つと、みんなその言葉に飛びつき「何だ鳥か」「なんやー」と安堵の声を上げたのであったが、誰かのたった一言で状況は一変する。


「マムシや!」


マムシにビビッて城を落ちる常盤。 こうして常盤が入城した佐東銀山城は数刻で再落城し、多分たけちゃまが戻った。

マムシを見た瞬間は動けないものであるよ。 登山口にやたら「マムシに注意」の看板が乱立してて、いるんだろうなーとは思っていたけど、いざ出てきたら足がすくむ。 その上2匹が絡んでいてたぶん性交中。 マムシが出たことに対してか、性交中なことに対してか、どっちの情報にどう反応していいのかそこもまたパニックの元だ。

しかも今写真見てて気付いたんだけど、これマムシじゃなくて無毒のシマヘビじゃね?  ついでにもう一つ、これ交尾中じゃなくて繁殖期にオス同士で行われる縄張り争い、通称コンバットダンスらしい。 蛇の交尾はもっと丸まってるぽい。 知らんわ! 蛇の交尾とか。

こうして常盤の故事がまた一つ増えた。 マムシの交尾と勘違いしてシマヘビのBLで落城。 これたぶん後世ネットでネタにされるやつや。


そして常盤は陣を置いていたイオンモールに戻り、フードコートで一息つくのであった。 今回の常盤旅はここまでである。 関西組はこれから車で帰路に就く。 小生は広島解散ということで、イオンモールの近くのJRの駅まで送ってもらってお別れである。 今回も短いながら語りたいことの多い、良き旅であった。 別れはいつも悲しいけれど、また会えるから日常に戻っていけるのだ。 やがて、電車がやって来る。


「最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ」


5/31

5/5-6 常盤紀行外典25GWかどっちの手紙


JR下祇園駅で常盤衆と別れ、私が独りになったところから話を始めましょう。

下祗園駅から電車に乗り、横川駅で乗り換えました。 なにぶん初めての路線、初めての駅で勝手がわからず、乗ったはいいものの大野浦行の大野浦とは果たして何処なのか、電車に揺られながら調べる始末。 どうやら方面的には間違っていないものの大野浦は目的地の手前にあるようで乗り換えは必至。 もちろんそのまま終点の大野浦まで行きそこで後続の電車を待ってもよかったのですが、どうも落ち着かないので次の駅で降りて、目的地まで行く次の電車に乗りました。

窓の外では町が途切れ海と山が迫ってまいりましたが、やがてまた町が現れて、17:20くらいに岩国駅で下車したのでした。 雲はまだうっすらと明るさを保っていましたが、光を段々と失っているようでした。


一旦ホテルに入って荷物を置いてから夕飯を買いに出ました。 今晩のご飯は「KeMBY'S DINER IWAKUNI」で。 予めグーグルマップでホテル近くの飲食店をリサーチしていたところ、口コミの「日本語は通じます」に俄然興味が湧いて、ここに行くと決めていたのでした。 ただいくら日本語が通じるからと言って「テイクアウトで」などとカタカナ英語を披露するのは日本男児として恥ずべきことなので、「持ち帰りで」と何度も何度も発声練習をして店内に入りましたものの「イラシャイマセー」と聞くとテンパってしまい、ついつい「あ、テイクアウトで」と言ってしまったのでした。 通じた。


ということで宿に戻って孤独に夜を過ごしました。 やはり独りになるとどうしても店内よりもホテルの部屋の中で食す方が落ち着いて食べられるのです。 ああそれと怪我の具合ですが、相変わらず出血が見られ、シャワーは地獄の時間でした。 血の付いた生々しいガーゼや絆創膏を大量にゴミ箱の中に捨ててまいりましたが、ホテルの人にはどう思われたのでしょうか。


一夜明けて霧雨の中岩国の町をホテホテ歩きまして白蛇神社に行きました。

ところでホテルから西に1時間ほど歩けば錦帯橋と岩国城がありますし、その手前には亀ヶ尾城跡と琥珀院跡があった辺りがあります。 亀ヶ尾城は弘中氏のお城、琥珀院は大内氏家臣の江良房栄が毛利元就との内通を疑われ弘中隆兼によって誅殺された場所でございます。 と申しましても亀ヶ尾城跡はなにも残っておらずただの丘で、琥珀院跡も大体の位置は分かるものの住宅地となっており、行ったところで、なのです。 岩国城と錦帯橋は、そのうち行く機会もあるでしょう。 たぶん。


昨日の武田山山上で見た蛇とは違ってここの白蛇はとても可愛らしく、間にガラスがあることを差し引いても、嫌悪感とかそういった負の感情はどんなに近づいても生じてこないのです。 「じゃどうぞ」と手渡されたらまた違った感想が出てくるかもしれませんが。 でもかわいい。


岩国白蛇神社から徒歩で10分ちょっと。 次は白崎八幡宮に行きました。 ここは厳島の戦いまでは隆兼の代まで弘中氏が大宮司をしていた神社で、厳島の戦いののち毛利氏がここらを領した後も隆兼の子孫が宮司となったとか。 ではありますが弘中隆兼関連のもの、石碑とか説明版といった類のものは見つかりませんでした。 オートバイ神社でもあるようで、バイクのお守りを購入いたしました。

また歩いて岩国駅まで戻り電車に乗りました。 その際もうすこしで違う電車に乗るところでした。 徳山行という表示を見て「あ、そうそう、徳山方面のに乗ればよいのです」とそちらのプラットホームに行ったのですが、「岩徳線」の表示に「そんなだったっけ?」と首を傾げて事なきを得たのでした。 まさか山の中を突っ切る路線があるとは思いもよらず、危うく迷子を演じるところでした。


通津駅。 どうでしょうかこの郷愁を誘う素晴らしきビジュ。 一時間一本の路線は時間調整がシビアになったり逆に暇を持て余したりと好きではありませんが。 駅舎はとても良い。


狭い歩道があったりなかったりの歩行者には居心地の悪い車びゅんびゅんの国道脇に石碑がございました。 朝鮮出兵の折、ここで秀吉さんが相撲大会を催したようです。


そうして専徳寺に辿り着きました。 ここには弘中隆兼の墓所があります。 厳島の戦いの跡をなぞり岩国の宿に入りました身と致しましては、錦帯橋なんぞよりかは白崎八幡宮やこちらに来るべきかと考えたのです。

そうしてまた駅に戻り、一時間一本の電車を待つのでした。 時間がもったいないような、折角の旅行時間を無駄にしているような気がしないでもないですが、いやいやこのぼんやり電車を待つ時間もまた旅行の醍醐味ではないでしょうか。


柳井港駅で下車いたしまして、「ぶっとび亭」でラーメンを食べました。 柳井には月性展示館がありまして、そちらにも行くつもりではあったのですが、徒歩で往復するだけで舟の時間にギリ。 そもそも展示館なので行って帰っての時間だけではありませんから、そう考えると今回はとても行けそうにない。 となりまして、その分時間ができましたので、腹を満たすことにしたのでした。 おいしかったよ。


そうして私の旅に終わりを告げる舟が入港してくるのです。 これにて今年のGWも終わりです。 今回もまた色々なことがあった良き旅でした。 一緒に旅してくれてありがとう。 そしてまた会う日までお元気で。 ではまた。


追伸

通津駅の駅舎の隣にあったトイレの脇のこれ、手水で良いのですよね?  しばらく見つめて首をひねり、周りを見渡して、それから腰を屈めて手を洗いました。 間違ってないよね?